「本気でぶつかった仲間がいた」「常に」、「日常の位置付け」
2018年という365日、8,760時間、525,600分、3,1536,000秒。
「1年がたったね」
「365日がたったね」
「8,760時間がたったね」
「525,600分がたったね」
「3,1536,000秒がたったね」
・・・
どれも同じ時間が経過しているはずなのに、感じ方が変わるのはなんでだろうか。
1、聴き慣れている
先輩「1年って早いねー」
かなめ「早いっすねー」
・・・早くないし!!!!!!
割とまわりの4,50代の人たちは良く言うフレーズ。
ぜんぜん、全く、根絶早くないっす。
濃厚でしたよ!!!毎年!!!
というか、そんな早く感じる人生を歩みたいと思っていません。
僕が望むの人生は自分が思ったことを行動できる人生。
今はできているけど、基本、まわりの人のおかげっす。。。んぁ!?
さらに説明すると、この「まわりのおかげ」ってのは嘘。
流れで、でてきたし、どこのフレーズパクってんだよってくらい、自然に出てきてしまった。ショックだ。まわりってなんだよ。
僕が考えるに、違う。
まわりのおかげじゃない、この人と本気で向き合い、責任を持って行動を行います。
だから、望む成果が得られたし、得られないとしても経験値は積み上げられる。
「まわりのおかげ」じゃなくって、本気でその人と向き合った。本気で。
僕が言うなら「本気でぶつかった仲間がいた、ありがとう」と言うな。
2、時間を意識して動いていない
いやー意識しないでしょw
そうだなー、「この時間」というリセットタイミングを24時間で何回もっているのか、1,440時間で何回もっているのか、と言うことですね。
例えば、僕で言うと。
朝食をとる時間は6時25分と週7日一緒。つまり、常に、ということ。
(最近は乱れはあるが、、、w)
「常に」を、意識的なことが無意識的にできると、悩みは減る。
これを体現できているのは親。尊敬する。
また、このことを意識して3年経つが、かなり行動に対しては、ストレス感じることなく、無意識的に動けるようになったし、自問自答の回数が増えたのがよかった。
3、めんどい
一番は長いし、口が動くのが面倒だし、簡単に1年に略せるのに、表現をあえて工数がかかるように表現するから、めんどい。
めんどくさい、はよく使ってしまう言葉。
ただめんどくさい、という言葉を使うシーンを想像するのが大事。
何事もそうだけど、「不登校」「待機児童」「モラル」と、単語で理解せず、基本的には対話やシーンを想像できるだけ、相手とは議論して、ことを進めたほうが感情ストレスが少なくておすすめ。
思考ストレスは好きだけど、ここと仲良くなると、考えることはくせになるし、それこそ「日常」になる。
自分の中の日常をどう位置づけるのか、これが人生なのかな。
ことあることに反射してしまうのもいいし、もともと回答を持っていて、対応するのもなんでもいいけど、基本的には「日常の位置付け」。これが大事。
よく言うところの、「バランス大事だよねー」、「人生は山あり谷あり」、「人生は人それぞれ」のような言葉を掘り下げた感じ。
掘り下げは面白いし、自分の価値観に合わせた言葉をつくっていく。
今回は「本気でぶつかった仲間がいた」「常に」、「日常の位置付け」という言葉に出会えたことを感謝しよう。