人というのいきもの。

結構、人を生きてる。

2017年を振り返る 「一」から「子」へ

2017年、28歳の今年はとにかくチャレンジの年でした。

遡るのが無理!充実してるってことです。

いつもありがとうございます!感謝です!

 

学ぶことの楽しさを感じることを書きます。

 

知性に負荷をかける。

 

筋トレをすると、筋肉がつくように。

◯トレというと体の外部がつくこと、テクニックと手段が多い。

 

知トレってものがあるかはわからないけど、負荷は次のステージに行けるチャンスである。広げることを重きと追わず、深さを知りにいく。

最初は大きくでる。風呂敷を広げるように動き回ってみる。

ここでつかめることは他者がいるってことよりも、自己の確立に近く感じ。

 

人は動き学ぶ。行動によって、新たな世界に行ける。

 

寝てるより座ってる、座ってよりも立っている、立っているよりも歩いている、歩いているよりも走っている。自分にとっての負荷がかからない方向の舵取りをすると、当たり前のように楽な方を選択してしまう。

気づいているかどうか、は自分と向き合い、問えるかどうか。

 

教育で志が見えたのはあるが、改めて、人生の全てが学びなんだと思う。

 

息切れがする、ストレスがかかることは次の世界を見せてくれる。

それは五感以上にフルに完成を深める感じ。

一瞬、前に手を伸ばし、自分の手を感じながらも、空気との距離を感じながら、流れを掴もうとする。

 

自分がどこにいるのかを知りたくて、動く。

行動と比例するほどに、思考の旅に出てみる。

人によっては文字をうったり、絵をかいたり、本を読んだり、動画を見たり、映画をみたり、人と話したり、景色をみたり、音に触れたり、思考は自由。

 

寝ててもなにも起きない。

引き寄せの法則ってあるけど、真実だと信じてる。

動いた時にしか起きない。

 

宗教の話って日本だとタブーな感じあるけど、宗教の話は興味深い。

東洋思想に興味を持ち、歴史を勉強を進める今、信仰がある人は内側、見えないところの強さがある。

 

自分よりも失敗談の多い人の話はしっくりくる。

僕も失敗散々して着たし、そのぶん挑戦したし、これからも挑戦するけど、食べるのと同等レベルに栄養として理解したら、なんか楽になれる。

 

ただ人はひとつの困難ぐらいは、乗り越えられる。

それがふたつ、みっつと重なると壊れてしまう。

孤独感が残るが、家族のつながりと、社会につながりがあるというのは改めて、感謝しかありません。

 

真実を見つけようと思考の深みに入っていく人と、真実を見ずに逃げ切ろうとしている人。

僕は今までは後者だ。

 

楽に楽にしようと、しようと、逃げ切ろうとしてきたように思える。

やっぱり目の前のことから逃げたくなることはあるし、実際に逃げてきた。

 

そして、立ち向かおうとしたとき、初めて自分と他人と、世界との距離感がわかった気がする。

 

定期的に同じようなことを書く人もいるし、僕もそうなのだと思う。

それは常にぶつかりながらも不器用に生き抜いている証拠なのだと、今ならわかる。

 

眠いことはあるけど、疲れたって実はあまりない。

言葉で疲れたーって言ってるときは、「あ、幸せ逃げてる(汗)」となっている。

 

人は眠くなる。

 

その自然の流れに任せて、合わせていく。

波長や流れに乗ることは重要で、今の流れに任せる。

無理やりの変更は自分の体や心をボロボロにする。

そもそも自然は操れない。

 

ご飯を食べるように、すべてを受け入れる。

来年の漢字は「子」

理由は子どもの子と、子というのは荘子老子孫子孔子たちの子。

自分も受け継ぐ。

人生学び続ける以外、ないのかな?とも思うぐらい、わからないことしかない。

 

一昨年は「真」、去年は「一」、今年は「子」

地元に戻り、毎年文字を決めて、走ってきた。3年がたつ。

 

来年は教育プログラムを作ります。

実際に動き回ってきた今まで、まだまだ動き足りませんが、証拠を残していきます。

 

生きる学び、学びたいことを学べる場、大切なことを教わりました。

作ります。

 

来年も何卒宜しくお願いいたします。