人というのいきもの。

結構、人を生きてる。

生きる意味づけをする。

どうもかなめです。

 

「あなたにとってのブログは何か?」

 

ただ書くもの。

注目浴びたいもの。

稼ぎたいもの。

稼ぐもの。

読むもの。

日常。

笑うもの。

感動するもの。

お気に入りのブログをチェックするもの。

 

「意味づけ」は人それぞれ異なる。

 

人が多様なように、意味づけは異なる。

 

とある起きたことを悪い、と思う人もいれば、良い、と感じる人もいる。

どうでもいいと思うし、興味がない。

それよりも目の前にセクシーな女性がいたら、もうそのことしか頭にはない。

 

そう、「生きる意味づけ」をしているのか。

 

何か行動、言動には必ず理由がある。

もし理由をつけていないのだとすると、思考はストップしている。

 

きっと止まることが当たり前になってきているのだ。

 

当たり前を当たり前とせず、常に疑問を持ち、探求し続ける。

おかしいな、と思えばおかしいと発す。

 

ぼくにとってのブログは心を整理する場なのかな。

 

起きていないことも含め、目の前でないことについても意味づけをする。

5感で感じていないことに目を向ける。

 

向け続ける。

意識をし続ける。

考え続ける。

心のインテリアとして置いておく。

 

自分の中にしかない生きる意味。

常に感じながら、楽しみながら生きていこう。

 

と、夕立の中で感じました。